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幼時から、モノの見方が人と違うと言われてきた筆者が、一味違った切り口から語ります。心の一服の清涼剤になれば。
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「歴史」を知る意味

最近の若者は歴史を知らない、とよく言われる。そして、それは事実だろうと思う。私の周囲でも、歴史に詳しい友人は、大抵は歴史が好きで、それを知ることを趣味としていた人が大半である。受験勉強で必要に迫られて歴史を勉強した人は、そもそも、大学卒業後に自分の口から歴史を言い出す人は、今のところいない。

また、歴史に詳しい友人は、趣味であるが故に、人に対して、歴史を知るべきだと主張する者はなかったし、歴史の生き証人とも言える比較的高齢の方から、歴史を知ることの意義を説かれたこともない。

そのような中で、南京大虐殺や靖国参拝といった歴史に絡む事例について、海外から批判され、これをマスコミが取り上げ、そうした一連の動きの中で、現代に生きる日本人として、このような状況をどう捉えるべきか、という問いかけの中でのみ、最近の若者が歴史を知らないことが責められているように思う。

歴史を知らないのは、歴史を知る意味を理解していないからだ。誰とて、やる意味の理解できないことをやりたいとは思わない。それは、歴史の勉強に限らない。そして、歴史を知る意味を理解していないのは、それを教わる機会がなかったからだ。歴史(=史実)を教わる機会はあっても、史実を勉強することの意義を教わる機会は驚くほど少ない。

戦争を生き抜いてきた人々は、二度と戦争を起こしてはならないという。そして、戦時中の苦しい生活を説く。現代に生きる我々とて、その時代に逆戻りしたいとは思わない。が、現在は飽食の時代。戦争当時には考えられないほどの無駄が日常的に放置されており、もっと言えば、そのような無駄こそが商売の利益の源泉とも言い得るほどに、現在の生活には無駄が組み込まれてしまっている中で、戦争から何を教訓として引き出すか、途方に暮れるのも無理はない。

しかし、それだからと言って、歴史を学ぶ意味がゼロだということにはならない。二度と戦争を起こしてはならないと思う以上は、何が戦争を引き起こしたのかを知る必要がある。ただし、そのためには努力が必要で、戦時中の体験談を聞くだけでは、勉強したことにはならないのである。そのような体験を国民に強いた背景に、どのような事実があったのかを知ることが不可欠なのである。そして、そのような事実関係は、一国民が戦時中に体験したことの中からは知り得ないものである。

もちろん戦争と歴史とは同義ではなく、単に戦争というコンテクストだけを捉えるのは適切ではない。ここで戦争を引き合いに出したのは、通常、我々が歴史と言うとき、それは太平洋戦争と密接に関わっているからに過ぎない。このことを踏まえれば、歴史の勉強とは、歴史上の事実の内容はさることながら、そのような事実が実現した背景・原因を知ることにある、と言い換えるべきかも知れない。

さて、そのような背景・原因を学ぶことから得られることとして、単にある過去の一時点における事実の発生原因が分かるというだけでなく、時代を超えて人間が繰り返し犯す可能性のある行為の一端を、そこにみることがある。それは、私に言わせれば、歴史を勉強することにより得られる果実のようなものである。

そのような果実を一旦手にしたならば、歴史を学ぶ意味を説くまでもなく、歴史を学びたい衝動にかられるようにすらなってくるのだと思うのである。
by myview | 2006-01-03 07:46 | 私の見方
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